ながれてゆくもの

いちオタクの徒然雑記

とうらぶ考察もどき:蜻蛉切

 

突然の神アプデにびっくりしてます。資材溶かしたけどお目当ては来ません……静形薙刀ほしいよお……

習合、とかいよいよきな臭くなってまいりましたね!(いい笑顔)

 

いいタイミングだからちょっと蜻蛉切について書き残しておくよ。

蜻蛉切の台詞、「触れれば切れるぞ」っていうのはもちろん名前の由来の穂先に止まったトンボが切れたっていうのはあるけれど、村正派の作(実戦刀で斬れ味がとても鋭い)だって意識が強いがゆえだと思ったらしんどい
……っていうことに端を発してちょっと考えてみました。

 

ミュの「俺も村正だ」とか、本丸ボイスや回想で村正をやたら心配するところとか そういうのが実は自分が村正の一派であることを強く意識してるからゆえの言動なのかなという気がしている。
元の主の話をしないので「本多忠勝の使っていた槍」ではなく「村正派の作」であることにアイデンティティの重きを置いているようにしか思えなくて。改めて刀帳のボイス聞いたら「藤原正真作」ではなく「村正作」って言ってるし…っていうかよく考えたらゲーム中では本多忠勝のほの字も出てこない。三名槍であることは口にしても、元の主のことはどう思ってるのか全くわからないんだな…

 

村正派の回想で彼が言う「だから誤解をされるのだ」は「村正全体のイメージをさらに悪くしてどうする」って言ってるようにも聞こえるかなあって。とうらぶにおける千子村正が「数ある村正の刀の集合体」であることを踏まえると「代表であるお前がしっかりしなくてどうするんだ」と言いたげに思える。

 

村正極の感想で書いたけど、村正の「アレも村正のファミリーデスから〜」という台詞からの「蜻蛉切が何を言おうと〜」という台詞の心境の変化を蜻蛉さんの解釈を踏まえて考えると、なんだか「アレも村正のファミリーデスから」と「気持ちはわかりマスがね」という言葉の間にはどうも「体裁や評価を気にしたくなる」というフレーズが入るんじゃないかと思います。
蜻蛉切が何を言おうが(中略)したいようにするだけ」と言うのは、それまで蜻蛉切の気持ちも多少考えていたけれどもう気にするのはやめた、という意思表示な気が……ますます蜻蛉切を突き放しているように感じます。

 

ところで槍の極はいつになるのやら。わたしのところはまだ初期刀の極実装されてません。(歌仙)